#20 小さな田舎町を去る前日

Originally posted on May 16, 2018


 

これまで人生をいささか楽天的に捉えすぎる感のあるおばねえさんは、まさに人生の窮地に立った気分で、ここSequimにおりました。滅多にないことですが、交感神経が過敏になりすぎて夜2時間しか眠れないのです。その上初日に寝違えた肩首腕が動かせないのです。痛み止めを日に4回飲んでもまだ痛い。こんなに素晴らしい、のどかな土地に来てこんなにプレッシャーと戦うとは予想だにしませんでした。それでも、けいを連れてきて一瞬も後悔しませんでした。けいがいるから戦えるのだと、けいがいない方ができるということだったらやらなくてもいいと腹をくくって落ち着くように自分に言い聞かせました。

案の定、パピーへのトレーニングは私がみんなから大きく遅れを取り、先生も心配して私の横に来て黙って見ている時間が増えました。なぜ他のみんなできるんだろう?6週目の子にけいと同じことを教えられるのだろうか?と不安とあせりが募りました。私が熱心すぎて時間をかけすぎ、ちょうどQuentinがご飯を変えた時と重なって、パピーは1日体調がすぐれなくなりました。注意され先生に夜の自主練を控えるように言われた日は、けいを膝に乗せて暗くなるまで何時間も海に座っていました。悩んでもしょうがない、と練習を休んだ次の日に覚悟を決めて行ってみると、体調を取り戻したこのパピーちゃんは驚くほど私のことを理解できるようになっていました。先生が言った通り、体調が戻れば変わると言われたのに、自分の考えに固執した私が間違っていたと目が醒める思いです。その日のうちに、前日までできなかったBehaviorが3つもできるようになり、自信を取り戻した私とQuentinペアは最終日を待たずして5つ連続をどんどん達成して合格することができました。    

ドッグトレーニングというのは、ひとりではできないものなのです。でもひとりの戦いなのですねぇ。無理強いは絶対にいけない、意欲を引き出すこと、喜びを共有すること、自分の我慢の限界を超えてもまだ我慢すること、それが生まれて6週目の小さな暖かい身体の子犬に教えてもらったことです。6週目の子に4日で教えられるなら、わたしたちは誰にでも教えられるのだ、と私たち学生たちは、嬉しい確信と謙虚な思いで残りの日々を過ごしました。ティーチングアセスメント(指導能力の実証試験)は、わたしの生徒さんたちが金曜日に来ることになりました。

指導するわんちゃんたちのプロフィールも配られ、それを見ながら夜中まで家でけいを相手にリハーサルしました。時間配分を間違えたら失格です。これまでのサラリーマン人生でプレゼンは時間配分が全てでしたので、これはわたしの得意とするところ、しかしわんちゃんたちが課題をできなかったら?わんちゃんたちが喧嘩しだしたら?実際に前日のトレーニングで一触即発だった子たちがいました。ホワイトボードに書く練習までして、説明は何十回練習したかわからないくらい練習し、寝不足のまま試験に臨みました。わたしの前のトレーニング中に足を負傷して一匹の犬が急遽交代となり、大型犬と中型犬に、手を使ったリコールを教えます。無我夢中で何をやったか言ったか記憶にない20分でしたが、中型犬の飼主さんがとても楽しそうに意欲的に取り組んでいるのを見て、とにかくホッとしたのだけは覚えています。教室から車まで送りながら飼主さんに宿題の話をし、犬たちが帰って行ったのを見てああなんとうれしかったことか・・・!

 

先生も喜んでくれ、そして、そして、とてもよく晴れたその日に、晴れてわたしは合格することができました。落ちこぼれのわたしも、みんなと一緒に卒業することができるなんて、こんなことがあっていいのかなぁ・・・

その日は学生たちみんな5人で初めてご飯を食べに行き、ビールを飲みました。みんな本当にストレスで消耗しきっていて、口々にいかに大変だったか、どこが自分にとって難関だったかを語りました。ある学生は英語という言語が大変だったと言い、ある学生は担当犬が実はかなりのくせものだったと言い、それぞれに苦しかったけれど充実した10日間を振り返りました。久しぶりに学校と犬以外のことをビールを飲んで大声で話し笑い、けいもみんなと嬉しそうにしていました。

学校最後の日にわたしはこれからも勉強し続ける教科書に先生にサインしてもらいました。そして先生に推薦をいただいて、わたしは今年9月にさらに違う試験も受けることになりました。     


さて、戻りまして今夜はここワシントン州で最後の夜、最後のビールを開けています。今日は洗濯をし、部屋を掃除し、大家さんに庭に植えるお花をプレゼントし、パッキングしました。そしてけいと最後に海に行きました。

 

そしてそこでわたしは小さな石の「テントウムシ」を見つけました。浜辺を奥へ奥へ行ったいつもは引き返すポイントを、今日は少し遠くまで足を伸ばしました。けいと思う存分ゆっくりして引き返す時、藪に囲まれたコンクリートの伝って渡る時木に隠れて小さな物があるのに気がつきました。行きは違う道を通ったのでわかりませんでした。それは石に描かれた小さな小さな可愛いテントウムシ。裏に「Sequim Rocks FB」と書かれていました。不思議に思い「FB(フェイスブック)」で「Sequim Rocks」を探してみると、それは誰かに小さな幸せをプレゼントするための、偶然に見つけられるように仕込まれた誰かからのプレゼントだったのです。フェイスブックでよかったら見てみてください。誰が発見するかはわかりません。でも誰かが作って置いておいてくれるのです。少しわかららない場所に隠しておくことが鍵、らしいです。    

 

なんて言うタイミングで神様はこういうことを用意してくれるんでしょうねぇ。Sequim最後の夜、いつも行く海だけど、めったに行かない場所。わたしの知らない誰かが、少しだけ誰かを幸せにするために描いて置いておいてくれたテントウムシ。なんだか出来すぎて怖いくらいです。わたしが大好きだった、今は亡き人たちが全員でわたしとけいを応援してくれているような、そんな幸せをかみしめた夕方でした。
ありがとう
Sequim また戻って来ます。