#3 相棒、けいのこと②

Originally posted on March 01, 2018 - Photo - September 2010

続き - その頃のわたしはというと

オフィス内の人間関係や本社との政治的なやりとり、1日に200通を超えるEメール、出張先でのつきあいや会食。時差を超えた夜中の電話会議。何年経っても使い切れないまま出張の度に溜まっていく航空会社のマイレージと、有効期限切れの有給休暇。そういう全てに、以前感じていた「必要とされることへの感謝や、やりがい」よりも、疲れを感じるようになっていました。


中年のピークに差し掛かると、いやでも病気で倒れる同僚や知り合いが出てきます。そういうケースを見るたびに、もしもわたしが今、命を終えたら後悔することがいくつあるんだろう、と考えることが増えました。


徐々に働き方も変わってきていました。出張をできるだけ避け、どうしても必要な場合は最短で帰れるよう、アメリカも現地2泊で帰るよう調整しました。以前は毎晩10時過ぎまでいたオフィスを夕方6時には出るようになり、けいと夕方の散歩をしてから夕食を家で取り、膝に乗せて夜の仕事をするようにシフトしました。週末に遠出することが生活の楽しみになり、何年かぶりに車を買い海に出かけ、山に登り、学生時代以来の外に出ていく生活を新鮮にありがたく思っていました。けいと過ごす時間はなんだか、仕事しかしてこなかった人生を取り戻せているように感じさせてくれました。


そんな生活が2年半ほど続き、けいも4歳になったころ、思わぬ仕事上のつまづきから、それまでの取り憑かれたような仕事への熱意が信じられないほど薄れて行くのを感じました。自分自身の変貌ぶりにびっくりして悩み迷いましたが、これまで努力してきたことも、大切な職場のチームもその頃の私にはなんの説得力も持たず、状況改善のために力を尽くそうという思いは全く私の中に生まれてきませんでした。今思えばなんだったんでしょうねぇ、でもここでこのまま死んだら私は後悔するという、半ば切羽詰まった思いに支配され、この仕事は私でなくてもできるが、けいの短い寿命の中で私に変わる人はいないのだから、とも考え始めました。

そしてほんの数週間考えただけで、思いやりのある会社の言葉にも全く耳も貸さず、起きていた問題を形だけ収め、大きなプロジェクトの数ヶ月分から1年先のプランを作成し、強行に退職書類を提出しさっさと辞めてしまいました。本社の同僚たちからはどこの競合他社に移るのかとしつこく聞かれましたが、そういうことすべてを、どこか遠くに感じて聞いていました。家族ぐるみのつきあいをしてくれていた上司の親身な心配をよそに、頑固に自分の意見を通し会社を出ました。

 

そうして私は人生の半世紀を間近に控え、ノープランで、けいとふたりだけの生活になってしまいました。
2014年のまだ肌寒い時期のことでした。

(お待たせしました、ついに次回からふたりだけの旅にでます...